話が前後しますが、みちのくトラウトフェスティバル(以下みちトラ)の前の話をします。
どうしてもみちトラの話を前に持って行かなければならなかったもので。
出発は6/29の夜でした。オークションで落札したばかりのレー探つけてR4を青森市に向け、
青森市からR7、秋田市に入ってR13で山形の村山市を目指しました。
やっと着いたのは村山市の市役所隣の
最上徳内記念館。
建物は見えたけど、R13からは入れず、Uターンしたいけど、センターラインが長く途切れなくて
かなり遠くでUターンしました。交差点から入ればよかったのね。
入場料は300円。ここ来たかったんですよ。
最上徳内という人物はここ村山市に産まれた蝦夷、択捉、国後の探検家。
蝦夷地開発の先駆者として伊能忠敬よりも先に蝦夷の地図を作り上げ、間宮林蔵にも資料を
提供した人物。かのシーボルトとも親交があって日本の事を伝え、祖国に帰ったシーボルトが
出版した「NIPPON」と言う本は世界中でベストセラーになったそうです。
その中では徳内を18世紀における最も卓越した日本の探検家と賞賛しています。
歴史にあんまり関心の無かった私が展示物に見入っていると若い男の学芸員の方が
「分からないことがあったら答えますよ」と親切に言うので、ここで私の正体をバラしました。
「言いそびれましたが私、青森の野辺地と言うところから来まして・・・」
その瞬間かなり驚いた表情をしてます。
続いて「○○(名字)といいます」そしたらさっきよりもかなり驚いた表情に満足。
実は私、最上徳内とは血がつながっているのです。徳内の祖父と、私の先祖は兄弟なんです。
さらに蝦夷に渡る途中に私の町で暮らしながら子供たちに読み書き、算術を
教えていた徳内は偽名(当時有名だったので気を使わせないように?)を使っていたけど、
世話役の人といろいろ話すうちに世話役の人が気付き、私の身内で跡継ぎのない娘の
ふでさん(私と名字一緒)を嫁にもらいました。ん?そうすると近い間で結婚したって事?
他にお客さんがいなかったので、学芸員の方から歴史の苦手な私は色々聞きました。
結構本が出ているけど、細かい字が苦手ですぐに眠くなってしまうんですよ。(笑)
生涯九回にわたり、蝦夷地を探検したこと、その際松前藩によって過酷な労働をしていた
アイヌの人を守り、彼らと寝食をともにしアイヌ語を覚え(後にシーボルトと共にアイヌ語の訳書を
作った)日本語と農業を伝え、それによって情報を得て蝦夷地の探検を成功させたと言うのです。
アイヌ人の家(チセ)アイヌの人達はこのような家に住んでいたようです。
時空を超えたツーショット?
このように銅像は北海道を型どった中島の池を望む形で立っています。
ここに来てすぐにあきらめてしまったり、面倒くさがりの私は身内にこんなすばらしい人物が
いるのにかなり刺激を受けました。
これからは困難にも立ち向かい、自分の意思を貫きたいと思います。
さぁ、次はいよいよみちトラに向けて蔵王を越えますか。
残念ながらエコーラインはすごい霧でした。
そのため、名物のお釜は霧の中・・・これも残念また来なきゃ。
蔵王と言えばそう、蔵王フォレストスプリングス!行ってきましたよ。
4時ちょっと過ぎに着いて始めましたが、クリアーで小さめの池でした。
反応はすこぶる良好、引きもナイス魚も美形で相当こだわっているようですね。
ココニョロピンクでブラウンが釣れました。
日が傾きライズがあってからはトップで遊びました。
古石堂のバルビーに好反応でした。
たった2時間でしたが楽しめました。
蔵王の温泉街の公衆温泉で疲れを癒し、車内泊。
楽しい一日でした。